代表プロフィール
埼玉に住んでるけど、目黒です!

- 目黒 正伸 めぐろ まさのぶ
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- 1974年5月10日生まれ
- 埼玉県生まれ、埼玉県育ち、
- 埼玉に住んでるけど、目黒です!
- おうし座
- ちょーどA(エー)型
本当の意味での地元上尾市の地域密着を目指し続けます。
- 平成24年5月~平成25年5月
- 上尾企業研究会(※)第48代会長
- 平成24年5月~平成25年5月
- 上尾市立大石小学校 PTA副会長
- 平成25年5月~平成26年5月
- 上尾市立大石小学校 PTA会長
- 平成25年5月~平成26年5月
- 青少年育成連合会 理事
- 平成26年4月~平成28年4月
- 上尾市体育協会大石支部(大石地区体育協会)スポーツ推進委員
- 平成26年3月~平成29年5月
- 上尾市立大石小学校 130周年実行委員会 委員長
- 平成26年5月~平成27年5月
- 上尾市立大石小学校 PTA顧問
- 平成27年4月~
- 上尾市立大石小学校 施設開放委員会 委員長
- 平成28年4月~平成30年4月
- 上尾市体育協会大石支部(大石地区体育協会)書記
- 平成28年5月~平成29年5月
- 上尾市立大石小学校 PTA顧問
- 平成29年5月~平成30年5月
- 上尾市立大石中学校 PTA 副会長
- 平成30年3月~令和2年2月
- 小泉区会 会計監査
- 平成30年4月~令和5年4月
- 上尾市スポーツ協会大石支部(大石地区スポーツ協会)副会長
- 平成30年5月~平成31年5月
- 上尾市立大石中学校 PTA 会長
- 令和3年5月~令和5年4月
- 大石地区コミュニティ推進協議会 会計
- 令和元年5月~令和2年5月
- 上尾市立大石中学校 PTA 顧問
- 令和元年5月~令和4年5月
- 上尾市立大石中学校75周年記念行事実行委員 記念誌部 部長
- 令和5年4月~
- 上尾スポーツ協会大石本部(大石地区スポーツ協会) 会長
- 令和5年4月~
- 上尾スポーツ協会 常任理事
- 令和5年5月~
- 大石地区コミュニティ推進協議会 副会長
- 令和5年4月~
- 上尾シティハーフマラソン実行委員会 走路部会長
- 第1章 誕生~幼稚園
- 昭和2年生まれの父親、昭和20年生まれの母親という、 18歳年の差がある両親の長男として、埼玉県上尾市に生まれる。 (意気揚々と入園した)幼稚園では、「背が高い」ということだけで、時々いじめにあう。 年長時より、書道を習い始める。
- 第2章 小学校生活
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小学校に入り、低学年の頃、いじめは減るものの、 やはり、背が高いということだけで、少しいじめにあう 小学3年より、そろばんを習い始める。 同時期から、カブスカウト(ボーイスカウト)に行き始める。 小学4年から、子ども会のソフトボールを始める。 小学校6年生の卒業間近に、好きだった女の子に、初めての告白! したが、みごと玉砕!
- 第3章 中学校生活
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中学校では、甲子園に憧れ、野球部に入部! 親友に誘われるままに、ライト(外野)のポジション志望した。 2年生になり、守備を買われ、時々試合に出場! その頃、一つ年上の先輩に、 「お前のこの(学校の)成績だと、高校に行けるところがないぞ!」 と言われ、親友の通う塾に行き始めた。 3年生になると、野球部では絵に描いたようなライパチくんとなる。 ※ライパチくんとは、野球漫画の主人公のあだ名でポジションがライト、 打順が8番というレギュラーの中で守備も打撃も両方一番へたくそな人の略。 野球は中学校まで、守備で一番下手な人のポジションが「ライト」。 打順で一番バッティングが悪い人は、8番というのがセオリー。 そして、何を隠そう、目黒は、もっとも補欠に近いギリギリのレギュラーであった。 戦績は、チームのみなさんのお陰をもって、上尾市内大会で優勝、地区大会を勝ち抜き、 埼玉県大会に連れて行ってもらっちゃいました! その時も、もちろん「ライパチ」くん! でも一応レギュラー! その後、野球部を引退したとたん、女性に興味が集中し、意中の彼女とデートし、 初めてのお付き合いが始まった。 しかしながら、初めてのお付き合い。 なにをどうしていいか分からず、会話までギクシャクし、破局! 仕方なく、高校受験に集中するために別れたと、自分に言い聞かせ、楽して大学に行き、 高校大学でエンジョイすることを策略し、大学付属の高校に絞って受験! 思惑通り、狙いを定めた第一希望の、芝浦工業大学高等学校にみごと合格! でも、男子校だということに、不安が募っていた。。。
- 第4章 高校生活
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中学では甲子園を目指して野球部に入った僕だったのに、 なぜかトキメク心は女性に移り、女の子にモテそうな、バスケ部に入部! さらに女の子との出逢いの場を求め、自宅近くのロッテリアに勤務 (なぜロッテリアかというと、そこのロッテリアで働いている女の子はかわいい子が多かったから♪ バイト始めて分かったのだが、バイト採用担当の人が、女の子は全て顔で選んでた!) ホントにかわいい子が多かった。 思惑通り、楽しい高校生活を送ることができた。 とても楽しい高校生活であった反面、 本業の学問では、付属高校なのに、付属大学に進学できず、見事撃沈! これで奮起し、必死に猛勉強して一般受験に臨み、国士舘大学工学部建築学科へ辛くも補欠合格した!
- 第5章 大学生活
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大学に入学してから分かったことだが、この学校の生徒の9割が男性あった(涙涙涙)。 その為ときめく心は学校内から外部に向けられ、性懲りもなく、 アルバイトとコンパ(女の子との飲み会)に精を出しすぎ、危うく留年するところだった! 学業はいつもギリギリ街道まっしぐら! 3年生なのに、1,2年生と同じ授業を受けるはめに。。。 そのお陰で、年下の友達はこうして増やすものだと悟った。 しかし、他の友人達は土曜日休んでいるのに、土曜日もフルに授業があった。 そんな中、3年生の夏休みに、専門学校にて、宅地建物取引主任者夏期講習を受講。 初めて受験した宅建試験で合格最低得点で、みごと合格!(笑) 大学では、4年生になる条件をスレスレの成績でクリアし、なんとか4年生に進級! しかし、本来であれば、研究室に入りびたりのはずが、研究室にほとんどいられないほど、 過密な授業数で、またもや後輩にたくさん友達が出来た(照) しかも、普通の人は、1年間しか受けられない授業を3年間受けられたものもあった(笑) 大学最後(の予定)の試験終了後、学年主任より呼ばれ、このままでは卒業が危ないから、 と言われ、各授業の教授のところへ挨拶(?)に行くよう、指示を受けた。 その挨拶の末、これまた、スレスレの単位数取得で、なんとか大学卒業した! 素直な(?)僕はすぐ行動に移し、この時に、今の交渉能力の基礎を築いた。 ?と、実感している(笑)。
- 第6章 不動産業界での社会人生活
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大学卒業後、地元中堅デベロッパーに修行のため、就職。 電話営業、飛込み営業、チラシ配りなど、営業の基本と不動産売買 (特に一戸建てマイホーム購入)の知識と経験を積んだ。 運がいいことに、一年目に新人賞を受賞! その後も順調に成績を伸ばし、3年経ったとき、マイホームを購入! まだ独身だったので、誰かに貸そうと思ったが、せっかく買ったので、 一人暮らしもしたいしということで、一戸建てで一人暮らしを始めた!
- 第7章
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4年ほど、修行させてもらった後、富士宅商事株式会社代表取締役として活動。 その頃、当時付き合っていた彼女と結婚。 も、も、も、もちろん、今の妻である! そして、男の子、女の子と授かり、虹(二児)の父としても活躍中(?) 仕事は、ありがたいことに友人知人の紹介もあり、 マイホームを中心とした新築・中古一戸建て購入や、 マイホーム建築のための土地購入などの不動産売買のみならず、 賃貸アパートの仲介、賃貸マンションの仲介、貸店舗の仲介、貸倉庫の仲介、 借地の仲介なども取引するようになった。 今では、売りアパートの斡旋、賃貸アパート・マンションの斡旋と満室サポート、 貸店舗の斡旋、賃貸アパート等の管理業務を中心に活動。 気が付けば、不動産業界に入って、27年目になっていた。